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3日前に金魚電話ボックスと著作権について記事を書いたのですが、今朝「INSIGHT NOW」というサイトに大阪芸術大学芸術学部哲学教授の純丘曜彰氏による記事が掲載されていたので、少しコメントしたいと思います。

 

純丘氏の記事の書き出しは、以下のようにちょっと過激です。

ネット上でもシロウトたちが、そして本人たちも、半端な知識で引っかき回しているが、専門的に問題をきちんと整理しよう。

 

ここで氏の言う「専門的」とは、おそらく、芸術的に、ということなのだと思います。
芸術学部の教授ですからね。

 

哲学も教えていらっしゃるということで、すごく面白そうですね。

哲学というと文学部というイメージがありますが、芸術学部で哲学の教授・・・。

しかもダンディ・・・(-_☆)キラーン

 

 

さて、ブログの趣旨を外れそうなので主題に入りましょう。

純丘教授の書かれた記事を読んでいて法律的な間違いを発見したので以下引用します。

 

そもそも、2011年に京都造形大学で、こんなものを「作った」ことが、かなりおかしい。98年の山本の『メッセージ』は、当時、かなり話題になった。学生だけならともかく、教授までついていながら、この業界で、この有名な先行作品を知らなかった、などというのは、まったく腑に落ちない。また、知っていようと、いまいと、また、発表していようと、いまいと、作品は創作時点で著作権が発生している。したがって、この学生たちのものもまた芸術作品として発表された以上、議論の余地無く、著作権侵害である。

 

「作品は創作時点で著作権が発生している」という部分だけを読むと、合っています。
しかし、全体として結論が間違っています。

 

既に3日前のブログ記事で説明したように、著作権侵害(複製権の侵害)となるには、「依拠性」と「類似性」が必要です。

 

したがって、著作権の侵害となるには、「学生たちが山本氏の作品について知っており、その作品を真似て造った」という事実が必要です。

 

「知っていようといまいと〜著作権侵害である」ということはありえないのです。

 

 

次に著作物性(著作権法2条1項1号)についてです。

山本は、電話ボックスを金魚鉢にしただけのものに、あえて「メッセージ」とタイトルをつけた。このことによって、『メッセージ』は著作物になっている。

 

著作権法的には、著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」を言います。

したがって、タイトルをつけるかどうかで著作物になったりならなかったりするということはありません。

 

もしそうなると、訴訟のときに相当面倒なことになってしまいます。裁判所ではそのような判断をすることはないでしょう。

 

逆に言うと、このようなタイトルの無いものは著作物ではなく、ただの実用物にすぎない。

 

実用物については、以前、箸や椅子など普段使われるもの(実用品)についての芸術性と著作権について書きました。

法律上、応用美術と呼んでいます。これについて書くと難しくなるので今回は割愛します。デュシャンの泉(便器)の芸術性なども絡んできて面白いのですけどね。

 

興味のある方はリンク先記事(私の知財サイト)を読んでみてください。知的財産権についてしっかり理解していないと意味を理解できなかったり誤解してしまう可能性がありますが・・・。

法学部の学生さんとか弁理士試験受験生は読んでみてね。

 

商店街が学生たちから譲り受けたのは、廃物の電話ボックス水槽のみであり、その後もたんに「金魚電話ボックス」と呼んでいた。ここに思想の表現は無い。したがって、これは著作物ではない。著作物ではないものは、著作権侵害にはならない。ゆえに、京都造形大の学生に対して山本が抗議するのは当然であるにしても、ただの水槽として使っている商店街に対し、あれこれ文句をつけるのは、根本から的外れの筋違いである。

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これは、「著作権」の保有者について混乱してしまっています。

 

山本伸樹氏の作品に著作権が発生し、その表現を真似した場合に商店街の人達は山本氏の著作権を侵害することになります。

商店街の作品に著作権が発生しないから著作権侵害にはならないというのは正しくありません。

 

山本の『メッセージ』という作品からして、著作物であるにしても、芸術性は疑わしい、と思われるかもしれない。これは、金魚鉢にした、「メッセージ」というタイトルをつけた、というアイディアのみに依存している、既存物を転用したインスタントアートであって、その美の源泉がどこにあるのか。

山本とは独立に同じことを考え出した凡百の類似品が世界中にある。この事実から、山本の金魚鉢化というアイディアそのものは、じつは、かなり凡庸であったと言わざるをえない。

 

この文章の中ではアイディアという言葉が二度使われていますが、法律的に言うと、一つのアイディアという言葉を2つの意味で使ってしまっているので不正確です。

 

前半の文章の「アイディア」は、芸術のアイディアであり、後半のアイディアは、知的財産権法の世界で言うアイディアです。

 

すなわち、後半のアイディアは、特許法で保護されるべきもので、著作権法では保護されません。
そして、前半のアイディアは単なる着想であり、法律的には何の意味もありません。

 

 

最後におまけとして・・・

 

あのステンレス、全面ガラス張りの輝く電話ボックスは、54年のGKの逆井宏の丹頂型に変えて、電電公社建築部標準設計室の小原誠らが64年のオリンピックに向け開発したものであり、組み立て式でありながら、水槽に転用できるほどの防水耐候性があった。

本人まで金魚電話ボックスごときに難癖をつけるのなら、自分の作品を根本から勘違いしているのではないか。あれほど日本人に親しまれた、あの美しく、高機能高性能の64型電話ボックスを設計デザインしたのは、あなたではない。あの電話ボックスそのものは、あなたの作品ではない。

 

知的財産権学習者に簡単な問題を出します。

電話ボックスは知的財産権として保護されるでしょうか?

 

 

・・・というわけで、著作権法についていろいろ説明してまいりましたが、福田の娘からの素朴な疑問。

 

「この電話、使えるの?」

 

これに対して、私はこう答えました。

 

「こんな電話壊れているから、誰も電話に出んわ」

 

・・・お後がよろしくないようで・・・。

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