原爆投下と中止の決断

多くの国民の反対を押し切って開催された2021年東京オリンピックが終わりましたね。
今日は原爆の日なので原爆に因んだ話をしてみたいと思います。

日本に原爆を落とした張本人である第33代アメリカ大統領ハリー・トルーマンは、核兵器の開発に巨額の資金を投入していました。
原爆を落とせば確実に多くの人が死ぬ。非人道的であり何代にも渡って日本人から恨まれることになる。
さらに、天皇は既に降伏を示している。

それにもかかわらず原爆を投下したのは、カナダやソビエトなど諸外国が核兵器を製造する中、アメリカはどこよりも早く、その威力を見せつける必要があったためだと言われています。そしてもう一つ。
「よく知らない相手が死んでもあまり胸は傷まないが、身近な人の欲望のためにはやったほうが都合が良い。今止めたら馬鹿にされるが実行すれば歴史に名を残すことができる」と考えたのではないかと思います。

既に計画が進んでいることを「止める」という決断を下すことは困難です。必ず反対者が現れるからです。反対者は多くの場合既に権力とお金を持っている人物です。
そんな人々を敵にまわすよりは、民衆の命を危険に晒したほうが好都合です。特に小さな島国の人々が死んでもそれはアメリカ人の敵になったかもしれない人々なのですから先手必勝というわけです。

歴史上、何か計画が進んでいるものを人命のために中止した人物は少ないのではないかと思います。

黒人解放運動家のキング牧師はデモを行っていましたが、途中で警察に攻撃され死者が出ました。そのため、仲間からは「我々は命を落としても構わない」と言われたにも関わらず、デモを中止し、意気地なしと罵られたようです。

しかし、これはキング牧師が本来の目的を見失っていないからこそ出来た人命優先のための中止だと考えられます。

行動を起こすことは難しいとはいえ、一度流れに乗るとそれを中止するのも難しい。
流される方が楽なのだからわざわざ中止をするという決断をするのは至難の業です。

他人の命を尊重するよりも近くの人間からの圧力に屈してしまう方が容易いのでしょう。

リーダーは孤独です。
中止をすれば自分がどんな目に遭うのかもわからないのに中止なんて怖くて出来ません。

だから、原爆を投下するという決断をした。
そして、それを正しい決断だったことにした。

原爆で命を失った方の人間はたまったものではありません。

 

中止できたはずのものを中止しなかった人は、身近な人からは「戦争を早期終結に導いた偉人」として讃えられるのですから中止なんてしたくないのが普通なのでしょうね。