最近、暗いニュースを聞くことも多いのですが、人々の生き方の多様性という面に目を向けると、この社会はなかなか良くなってきているのではないか?と思うことがよくあります。

 

かつての価値観と今の価値観

たとえば、一昔前は、がむしゃらに勉強して良い大学へ行って良い企業に就職してたくさん稼ぐのが「良いこと」とされていました。

 

しかし、今はたとえ一流の大学へ行っても「倫理観」や「知性」までは身につけていなくて人心を掌握できないことがあり苦労する例が出てきています。

 

逆に、「クラスの人気者」「目立たないけど優しい愛情に溢れた」タイプの人が社会でも成功している等、今までの常識では「成功者」になりえないと考えられていた人たちがビジネスで成果をあげていたりします。

 

更には、障害をハンデとせず、自分の最も活躍できる場で輝いている人も存在します。

決して「綺麗事」として言っているわけではなく、本当にそんな人達がいるので、例を紹介してみたいと思います。

 

 

たとえば、認知症の人が働く「注文を間違えるレストラン」。

 

この試み、斬新でかつ心温まる素敵な取り組みです。
ウエイターに注文をすると高確率で注文を間違えてしまいます。

「え?肉じゃが定食?注文したのオムライスなんだけど・・・www」

 

でも、そんな間違いすら笑いに変えてしまう場の雰囲気。

 

時間に追われ、形式を守ることだけを善とする価値観の下では決して受け入れられない存在です。

 

「日本」という公共交通機関が常にピッタリの時間に運行され、約束を守ることが美徳とされるこの国で、注文を間違えるレストランが受け入れられるというのは誰も予想しえなかったのではないでしょうか。

 

「お客様は絶対」と考えていると従業員が犠牲になってしまいます。

 

しかし、従業員も楽しく働けるようになると、結果としてお客様にも笑いという余裕が生まれてきます。

 

物事が予定通りに行かなかったり自分が待たされて不快なのは、ピリピリした余裕のない世界で生きているからかもしれません。

そこから一歩踏み外してみれば、自由が待っています。

大きなイノベーションといえます。

 

 

また、「ダイアローグインザダーク」という取り組みもあります。

 

これは、もともと1988年に、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によって生まれたものです。

視覚障害者が健常者をアテンドして真っ暗闇の中を進むという取り組みです。

「普通」の人は暗闇の中を進めないのですが、視覚障害者の人は暗闇の中をスイスイと歩いていけます。

 

恐ろしい暗闇の中での体験は、忘れられない記憶になる&視覚障害者への尊敬の気持ちに繋がるとして、この取組は全世界で広がっています。

 

 

他にも「弱者」と考えられてきた人たちが活躍できる取り組みが増えてきたので、本当に素晴らしいなと感動してしまいます。

 

障害や自分に足りないものを「欠点」と捉えるか、あるものに光を当てるのかによって、その人自身も幸せに生きることが出来る様になると思います。

 

先程述べた「あるもの」ですが、これは常に目に見えるものであるとは限りません。

むしろ「癒やし」のように目には見えないもののほうが多いでしょう。(知的財産権も同じように目に見えませんね・・・と無理やりブログの主題に結びつけたり・・・w)。

 

たとえば、「優しくてみんなを癒やしてくれる」おばあちゃんの存在はありがたいものです。

 

そんな昔ながらの「おばあちゃん」の良さに目を向けてビジネスをしてしまってもいいのですが、お金の介在しない世界でひたすら癒やしを提供するというのもまた面白いかもしれません。

 

「癒やし」といえば、おばあちゃんの他に「赤ちゃん」の存在も大きなものです。

通常は、保育される側は保育料もかかり、手間のかかる存在とされています。

 

しかし、赤ちゃんって、はっきりいって(はっきり言わなくても)可愛いです。

本来は赤ちゃんの存在は文字通り有り難いものです(現代においても出産は命がけですし)。

赤ちゃんと触れ合っていると幸せな気分になれます。

 

たとえ自分の子どもで無くたって赤ちゃんという存在はいるだけで場を癒やしてくれます。

 

その外見的な可愛らしさにプラスして、大人のように計算して言葉や行動を選んだりしないからでしょう。

赤ちゃんは「偉い(と思われる)人」にゴマをすったりしませんからね。

ただ、その瞳の輝きだけで大人を癒やしてくれます(子供のことも癒やしてくれるので、対人関係が苦手な子は赤ちゃんと接すると良いらしいです)

 

ですから、赤ちゃんと触れ合える場所があったら、寂しさを感じる人には有り難い存在になると思います。

 

だからといって「猫カフェ」のように赤ちゃんをたくさん集めてきたら人権問題に発展してしまいますね(^^;

 

赤ちゃんとふれあいたい人たちと赤ちゃんをマッチングできたら、win-winな関係を築けて(さらには赤ちゃんの親が少し休める時間も作れる)素晴らしいイノベーションなのではないかなと思います。

 

今現在日本にあるベビーシッターサービスなどはいずれも高額で、とても普段気楽に頼める金額ではありません。

 

たとえば、一時間700円というのは安い部類の値段設定ですが、これを毎日となると「普通の」家庭の家計を圧迫することは目に見えています。

毎日3時間×20日間=42000円。一ヶ月に4万2千円の出費はキツイですよね。

パートの収入が1000円だとしたら、時給300円で働いていることになります。

 

これだけ出すくらいなら我慢すると考えて利用をしない人が現れるのは容易に想像できます。

ということは、高所得者しか利用できないサービスとなってしまいます。

 

これでは、一部の高所得者層だけ「実質的に」(現実的には低所得者層は利用したくても利用できない)利用できることになります。

 

これを無料にすることにより、社会を変革するほどのイノベーションが起こせるはずです。

 

そして、少子化問題の解決に繋がるのではないでしょうか。

(私の考える少子化問題とは「子どもが生まれない」ことよりも「子どもを育てられないから産めない」です。年収800万円でも2人目の子どもを躊躇するこのご時世にどれだけの人がたくさんの子どもを育てようと思えるでしょうか。)

 

いろいろと事例を見てきましたが、まず初めに収益ありき、ではなく、「こんなのいいな」という、ごく原始的な希望から考え始めると「誰でも思いつきそうなのに無かった」イノベーションが生まれると思います。

 

障害者や自分に自信が無い人の働き方

さて、もし今現在、障害や職歴・スキルの無さを気にして働けないと思っている人がいる場合には、発想の転換をしてみることをお勧めいたします。

 

「みんなと同じ働き方」をする必要はありません。

「自分にできること」「多くの人がやらないこと」に目を向ければ仕事はたくさんあります。

むしろ、「普通」の人がやりたがる「かっこいい」仕事を避けることにより、ブルーオーシャンを探し出すこともできるでしょう。

 

「自分には○○ができない。△△もできない」とできないことを列挙するのではなく、「あれもできる。これもできる。しかも喜んですることができる」とポジティブに考えれば、「普通」の思考で考えた「立派」な仕事よりも魅力的な仕事をすることができるかもしれません。

 

そして、そうして働いているということは多くの人に希望を与えることから、生み出す社会的価値は非常に大きなものとなります。

 

「すごいと思われたい」「かっこいいと思われたい」「たくさん稼ぎたい」「先生と呼ばれたい」

そういった、誰もが単純に憧れてしまうことよりも、

「すごいと思われなくていい」「ダサいと思われてもいい」「稼げなくてもいい」「周り中が先生」という考え方のほうが初心を忘れずずっと成長を続けられますし、愛される存在でいられるでしょう。