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大きな病気を患っている、食べていけないほど生活に困窮している等という理由がない限り、日常的に生じる悩みの多くは、対人関係のストレスから来るものが大半だと思います。

 

そして、どうして対人関係をストレスに感じてしまうかというと、その大きな理由の一つに、「他人が自分の思い通りに動いてくれない」ということが挙げられます。

 

したがって、他人を自分の思い通りに動かすことができれば、対人関係のストレスは相当緩和されます。

 

とはいっても、人は意思を持っているので、簡単には他人に操られることはありません。

 

したがって、嫌みな同僚は嫌みなままですし、勉強しない子供は口をすっぱくして勉強しろといっても怠けてばかりいます。

 

では、どうしたら「人が思い通りに動かない」という問題を解決できるのでしょうか。

 

いつも通り、まずは問題の発見から始めましょう。

 

まず、「人が思い通りに動かない」ということを問題にしているのは自分自身です。

 

どういうことかというと、たとえば、「あいつはいつも自分のことを軽視する」ということは自分がそう考え、問題にしているから問題なのです。

 

あなた側から見た事実は「こちらから挨拶をしても返事をしなかった」「車に乗せてあげてもお礼を言わなかった」なのかもしれません。だからあなたはそれを自分のなかで「あいつはいつも私のことを軽視する」と解釈してしまったのでしょう。

 

しかし、相手側から見た事実は「あなたが誰々さんに挨拶をしたが声が小さくて相手に届かなかった」「あなたは車に乗せて送ってあげて良いことをしたと思っているが誰々さんは運動のため歩きたかったのにそれを邪魔された」のかもしれません。

 

つまり、あなたがした「良いこと」はあなたが「良いこと」であると解釈しているだけで、相手は「良いこと」だとは受け止めていない可能性があります。

 

このように「事実」の「解釈の仕方」によって受け取り方も変わってしまいます。

 

したがって、「事実の解釈の仕方」によって事実は問題になりますし問題にならないこともあります。

 

「問題」は実に主観的なものなのです。
それを前提としながら問題の解決を図ってみましょう。

 

さて、「人が自分の思い通りに動かない」という問題は自分がそれを問題だと認識しているから問題なのだ、ということはわかりました。

 

では、これを解決するためにはどうしたらよいのでしょうか。

 

最も簡単な方法は、「事実の受け止め方を変える」ことです。

 

つまり、問題と認識していることを「困ったことである」ととらえなければ良いわけです。

すると、事実はそのままで問題は解消してしまいます。

 

たとえば、相手がいつも挨拶を返してくれないことを問題と捉えずに今までよりも大きめの声で挨拶してみます。

声が届いていなかっただけなら、相手は必ず挨拶を返してくれます。

 

大きな声で挨拶しているのにあえて無視されているのなら、自分が相手に何かをしてしまった可能性があるので、相手に非礼を詫びるなり何なり別の手段を採れます。

 

事実の受け止め方を変えるのではなく、「自分の行動を変える」という方法もあります。

よく、「人を変えることは出来ないけれど自分が変わることはできる」と言いませんか?
この言葉の通り、人を変えることは容易ではありません。
しかし、自分の行動や反応を変えることはこれに比べれば、ずっと簡単です。

 

たとえば、子供がゲームばかりしていて、勉強しろと言うと黙り込んで自分の部屋に閉じこもってしまうという状態が続いていたとしましょう。

 

この場合、いつもと同じように「勉強しろ」といくら言っても同じことの繰り返しで決して進展はしません。何も言わない方がよほどマシです。

 

でも、心配で一言言わないと気が済まない・・・

 

分かります。

でも、「小言を言うことによって相手を変える」のと「小言を言うことをやめる」のとでは、どちらが簡単でしょうか。

後者に決まっていますよね。

 

だって、命令されたからって人は変われませんよ。

ダイエットしたい人は、自分に「痩せろ」と命令してください。

そんなことで痩せますか?

自分で自分に命令しても痩せることは出来ないのですから、他人に命令しても変わらせることなんてできません。

 

ですから、子供が自分が望むような反応を見せないのならキッパリと小言を言うことはやめます。

 

代わりに「ただ、見守る」ようにします。

 

どうしてもそれが出来ないというのなら、「褒める」ようにします。

 

勉強している姿を見かけたら大げさに褒めます。
勉強をしていなくても、たとえば自分で自分のお皿を洗っていたら感謝を伝えます。

 

人は「他人に認められたい」と思う生き物です。
歓迎されればもっと歓迎されたいと思い、相手の喜ぶことをしようとします。

 

もちろん思春期の子はなかなか素直にそう反応はしてくれませんが、歓迎されていやがる子なんていません。口では反発しても内心喜んでいます。

 

直接勉強をしていることを褒めなくても、他のことを褒めていれば、もっと褒められたいと思い、勉強もするようになるでしょう。

 

まあ、そもそも「勉強をしないことは問題だ」と親がとらえているから子供は問題行動を起こすのであって、「ゲームばかりしてえらい子だ。将来はプログラマーかな?」なんてのんきに考えるのも良いかもしれません。

 

一流大学に入って大企業に就職することだけが子供が幸せになる道だと思い込んでいたら、その狭い考え方こそ「問題」かもしれません。

 

人間は機械ではないので、自分が行動(反応)を変えれば、相手も反応を変えます。
そして、予想通りの反応をしないからこそ楽しいと考えることもできます。

 

思い通りにならない・・・と悩んで問題を生み出すよりも、「相手はどんな反応をするかな?」とワクワクしていた方が人生を楽しめるかもしれませんね。