一般用語としての「発明」と特許用語としての「発明」

今日(4月18日)は発明の日。

毎年この日には発明を紹介していますし、平成最期の発明の日なので平成最大の発明をご紹介したいところですが、独断と偏見で選ぶことになりそうなので止めておきます・・・(笑)

 

代わりに今日は、一般用語としての「発明」と知財(特許)用語としての「発明」についてお話したいと思います。

 

一般用語としての「発明」とは、今までなかったものを新たに考え出すことであると言えるでしょう。

 

これに対し、知財(特許)用語としての「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいいます(特許法2条1項)

 

つまり、一般用語としての発明は幅が広く、特許用語の「発明」の上位概念であるといえます。

 

そのため、普段「すごい発明したよ!」と言うときに使っている「発明」という用語は、一般用語であることが多いといえます。

 

たとえば、20世紀最大の発明としてアインシュタイン(元特許庁審査官)は「複利」をあげていますが、これは一般用語としての発明です。

同じように、「ノーベル平和賞は世界に平和をもたらす素晴らしい発明だ!」というような使い方をしたときの「発明」も一般用語としての発明です。

 

このように、知財業界の人が使う「発明」という言葉と一般で使われる「発明」という言葉はイコールではないために、たまに齟齬が生じています。

 

特許業界の「発明」は、あくまでも自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものでなければならず、この要件を満たしていない、たとえば単なる発見などは特許法における「発明」ではないのです。

 

発明という言葉には胡散臭さや低俗さを感じることもあると思いますが、これは、一般用語としての発明が気軽に使われ過ぎたためだと思います。

 

子供に「発明家の絵を描いて」というと、大体白衣を着てメガネをかけて頭がもじゃもじゃの「謎の博士」を描きます。

漫画やアニメの中ではステレオタイプの発明家の姿が描かれているために、未だに発明家には胡散臭いイメージがつきまとっているのだなと思うと少し悲しくなります。

 

特許業界はマイナーであるために仕方ない面はあるものの、発明に付き纏う妖しさはもうちょっとどうにかならないものかと思います。

 

まあ、この記事の冒頭にある電球のイラストに象徴されるように、発明といったら、エジソン。エジソンといったら、電球!というようなイメージはずっと存在しますし、こういう記事を書く時に電球のイラストを使って更に発明といったら電球!というイメージを強固にしてしまっている私にも責任はあると思います(^^;