私はよく長女に対し、「お姉ちゃんでしょ」というニュアンスの言葉を使ってしまいます。
長女自身もまだ小さいのですが、次女が幼稚園にも行っていないくらい小さいので、次女をかばってしまうのです。
*この記事も旧ブログ「問題解決中」のもので実際に書かれたのは数年前です。
しかし、何度叱っても、長女は次女をイジメたり喧嘩をします。
全く、何の成長もないんだから・・・と怒ってしまうのですが、さて、この場合悪いのは誰でしょう?
やはり、年齢が下ということだけで次女をかばってしまう私でしょう。
長女は年上といっても次女と10歳以上年が離れているわけではありません。
それに比べ、私は娘たちよりずっと年上です(母歴は長女の年齢と同じですが)。
大人になるべきなのはどう考えても私です。
しかし、子どもと同レベルで子供のことを叱っているのです。
滑稽極まりません。
「次からは叱らないようにしよう」と心がけるだけで、結局舌の根も乾かないうちに「お姉ちゃんでしょ!」を言ってしまうのです。
ホント、ばかです。
自分のことは棚にあげて他人のことを批判するのは簡単です。
私もこのブログのなかで散々他人のことを批判していますが(法律に基づいて説明するようにはしていますが)、さて、自分がその立場に置かれたらどうでしょう。
たとえば、産地偽装を行い不正競争防止法違反で逮捕された人の事件について触れましたが、私がその立場に置かれたらどうでしょう。
「内部告発がない限りバレない」のですから、やりたくなってしまうはずです。
また、懲戒処分を受けた弁理士のことも批判しましたが、私が同じ立場にいたらどうするでしょう。
やはり、バレないのならやってみたくなるはずです。
そんな誘惑に抗うことは難しいでしょう。
私は単なる一市民であり小心者だからこそ犯罪に手を染めることができていないだけで、度胸や機会があったら、犯罪者になる可能性があります。
もちろん私だけではありません。
誰だってそうです。
そんな環境さえ整えば、あとは倫理観の問題です。
空腹時にご馳走を並べられたら我慢しろという方が無理です。
従って、法律の抜け道がないように法を整備すべきだし、悪事を働けないようにシステムを整えるべきです。
お金に困っていたら、自分だけ貧しくて周りじゅうお金持ちだったら、悪い誘惑に駆られる可能性が高くなりますから。
他人を批判するときに根底にあるのは、「自分が正義」という感情でしょう。
実際は、自分が正義なんじゃなくて、自分はたまたまそういう立場にいなかっただけでやる可能性は十分にあるんですけどね。
佐野研二郎氏にしろ、小保方晴子氏にしろ、批判するのは簡単です。
でも、正義を振りかざして他人のことを批判していい気になる前に、まず自分のことを振り返ってみたいと思います。
言葉ではなく、背中で生き様を教えられるような大人にならないといけませんね。