なぜ日本は生きづらいのか【Hofstedeで考える文化的価値観】

日本に生きる我々は、常に他者の目を気にして生きています。人様に迷惑をかけてはいけないと小さな頃からしつけられ、迷惑をかける相手に対して厳しい目を向けるのが日本人です。”ずるい”ことが許せず、ズルいことをしている人を見つけると、自分の時間を犠牲にしてでも制裁を加えたいと考えます。

このように、他者と自分を比べながら制約の中で生きる日本人が制約の外へ出るにはどうしたらよいのかを他国と比べながら考察してみたいと思います。

オランダにホフステード(Hofstede)という社会心理学者がいます。ホフステード氏は『文化6次元セオリー』という理論を提唱しています。日本語で書くと堅苦しくて難しそうですがこれは簡単に言うと、国ごとに価値観の違いを数値化しています。
この理論では、以下の6つの基準が挙げられています。
1.権力格差(権力が不平等に分布していることについて受け入れているか。家父長制、中央集権)
2.集団主義か個人主義か(集団主義の場合は調和を重視)
3.女性性か男性性か(男性性は他者より秀でていることや成功していることを重視。女性性は他者への思いやりを重視)
4.不確実性を回避したがるか否か(予測不可能な状態を好むか否か。高いと正しい答えを求める。低いと答えがなくても構わない)
5.短期志向か長期志向か(短期志向は唯一絶対の真理。享楽的な快感。長期的志向は状況により善悪が変わる。将来のゆとり。)
6.人生を楽しんでいるか(楽観主義的で自分で人生をコントロールできるか)

日本は割と極端な数値が出ています。1と2については平均的ですが、3,4,5はいずれも100点中90点以上の数値です。
ホフステードによる日本の価値観を簡単にまとめると、「社会的成功をおさめることが非常に重視され、弱者に厳しい。確実性を求め、答えのわからないことを思考することが苦手。人生をコントロール出来ていると感じられず流されるがままに生き、無力感を覚え悲観的な人が多い」となります。
ただし、長期的志向が高くなっています。ちょっと高すぎるのが問題ですが低いよりも良いです。この数値はアメリカでは低くなっています。
全体的にはアメリカは自由で生きやすい価値観に見えますが、差別も根強く残り日本とは違った生きづらさがあります。

メキシコは人生を楽しむ数値が高いので理想的に見えますが、刹那的な快楽の要素が強いといえます。たとえば、南部アメリカやメキシコでは病的に太った人が多いですが、これは「今美味しいものを食べられればいい。健康や見た目なんてどうでもいい」という気持ちを表しているのではないかと思います。
逆に日本は細い人が多いですが、意識が逆ですよね。といっても、日本の方が絶対に良いというわけではなくて、中道が理想です。日本は男性性と長期的志向が行き過ぎていて、結果として「他人からどのように見られるか(他者より成功しなければいけない。他者より美しくなければならない)」を過剰に重視し、行き過ぎたアンチエイジングや拒食症、うつ病、社会不安障害を引き起こしています。
適度に力を抜き、ここぞというときに頑張るというメリハリができなくて常に気を張っていて休めるときがない息苦しい社会というのが日本です。そのせいか、創作の世界ではなろう系のように現実逃避作品が好まれていますね。(男性向けなろう系作品は、基本的に1.前世の記憶があるため現世で無双 2.なぜか美少女が寄ってきてハーレムという「努力をせずチート」が好まれることから現実の「少しの努力ではどうにもならないことからの諦め」を反映していると思います。女性向けは1.ほどほどに可愛い主人公が人柄で王子様に愛される 2.嫌われ者の悪役令嬢が一転してヒロイン というパターンが多いので、昔の価値観(白馬に乗った王子様を待っている)を否定しつつ自ら行動して人生を切り開きたいという願望が見えます。)
でも、最近は普通体重が良いとか白髪のままがいいという価値観も現れてきているので今後に期待です。

さて、6つの価値観を見てきましたが、どの国が一番良いのでしょうか?
結論としては、表を見る限りでは理想の国はありません。
ニュージーランドがちょっといいかなと思うくらいです。
住めば都ということわざにあるように、どの国も欠点はあるものの長所もあるためそれなりに楽しく過ごせるのではないかと思います。

日本は社会的に成功しなくてはいけないという凝り固まった考えを改め、他者の痛みに寄り添う心の余裕を持ち、答えの無い問題を楽しみ、今この瞬間の幸せを感じながら生きる人が増えると誰もが過ごしやすい温かい社会になりそうですね。

といっても、自分にゆとりがないと中々他者への思いやりを持つこともできないので、経済成長も同時に必要なのだと思います。
20代以下の若い人たちは生まれてからずっと景気の良い時代を経験していないので、守りに入ってしまうのは当然かと思います。

私は様々な方々からのキャリア相談を受けつけているのですが、若い方たちからは以下のような悩みをよく打ち明けられます。
「良い大学に入って良い企業に入ったけど、この先の人生が輝いているように思えない。苦しい」「よい人生の指標がわからない。受験テクニックしか身についていない自分のバカさが嫌になる」「失敗するのが怖くて行動を起こせない」「何のために生きているのかわからない」
こんな悩みをお持ちの方にはもっと自由に生きていいんだとお伝えしております。また、自分で自分を卑下している人は自分で思うほど実力や魅力がないわけではないので自信をもってほしいなと思います。ご本人が気づいていない魅力をお伝えすると笑顔になってくれるのでうれしい瞬間です。

また、逆に「一発逆転をするために資格をとりたい」という意見もあります。野心的で向上心の高い人は俄然応援したくなります。
でも、どちらかというと、レールの上を歩んできた人が、一歩踏み出したいという悩みの方が多いです。
自分で生きていく力をつけるために思考力をつけたいという感じですね。

これが30代後半以上になると、「家族のために安定した働き方をしたい」「未経験で知財業界に飛び込みたいけれど給与が下がることが不安」「性格的に向ていないかもしれないので、知財業界に来たい気持ちはあるものの飛び込めない」「もう今の事務所に耐えられないからまともな所長弁理士が経営している特許事務所で働きたい。面接でさんざん騙されてきたから自分の見る目の無さにもあきれている」となります。

皆さんそれぞれの悩みを抱えていらっしゃいますが、一般的な日本人全体の抱えている悩みよりも高尚な悩みが多い気がします。
金銭的には恵まれているけれどやりがいがないというように、経済的に余裕のある人の悩みが多いからです。

これは贅沢な悩みだと思われるのでしょうが、御本人は本気で悩んでいるので、経済的に恵まれているから悩みが無いということは絶対にありません。
むしろ、自分はこんなに恵まれているのになんでこんなに駄目なのだろうと落ち込んでしまいます。
恵まれている環境にいるために、人よりも努力をしなければ幸せになってはいけないと自分を厳しく律するのです。
しかし、会話をしていると悩みの先にある光が見えてきます。
他人を責めずに自分を責めるという責任感の強さと元々の性格の良さもあるのでしょう。
光が見えたときにとても良い目をされます。この光が見えた瞬間が最高に幸せです。
モヤモヤとした苦しさは少しずつ昇華することができるのです。

宗教にハマるとかそういうことではなくて、現実世界で生きながら苦しさの中に幸せを見つけることができます。
お釈迦様が人生は苦であるとおっしゃいましたが、8割が苦でも1割の無と残り1割の幸があれば、人はトータルで幸せであると捉えることができます。感情とはそういう論理を超越したところにあります。
そんなテキトーで肩の力を抜いた生き方をしていると自分自身を制約から解放してあげることができるのではないでしょうか。

ご相談くださった方の中には、既にカウンセラー等に通って数十万円かけたもののまだ闇の中にいるという方がいらっしゃいました。
自分は大丈夫と思わずに、相談相手が欲しいと思った段階でお気軽にご相談ください。
さすがにあまり重い悩みは心療内科の先生等専門家に頼った方が良いです。また、薬を処方してもらうのも効果的です。

ライトな相談を腹を割って話したいという方はお問い合わせください。