本庶佑教授の特許収入と知的財産権の抱える闇

ノーベル医学生理学賞の受賞で話題をさらった京大の本庶佑特別教授。

本庶氏関連のニュースでは、氏の語録、たとえば「教科書を信用するな」がよく挙げられますが、今日は非常に下卑た話をしたいと思います。

 

「本庶教授って、特許でどれだけ儲けたの?」と。

 

知的財産権はその名の通り、財産、つまりお金に関する権利ですから、知的財産権の一つである特許権を利用してお金を稼ぐということは望ましい経済活動です。

人に価値を与え、その価値の対価としてお金を受け取っているのですから。

(「儲けたい」が最初に来ると、つまらない発明になるというのもまた事実のようです)

 

もちろん先行投資も必要ですから個人ではなかなか発明出来るものではありません。

特に医薬品なんて大学や企業に属していない限り無理です。

(バイキンマンやアニメに出て来る「孤高の天才博士」はあくまでもフィクション。ちなみにバイキンマンは機械や化学等あらゆる分野において発明が出来るので超天才。そして、うちの子も含め、子どもたちのアイドル。)

 

 

さて、がん免疫治療薬「オプジーボ」が販売されると本庶教授の元に特許使用料が入ります。

(ノーベル賞の賞金自体は6000万円程度です。)

 

昨年度のオプジーボの売上高は901億円です。

医薬品の特許の使用料は実施権の種類にもよりますが、約6%として計算してみると、昨年度だけで小野薬品工業から本庶教授へは54億円の特許料の支払いがあることになります。
米ブリストル・マイヤーズスクイブにも特許を使用させていることや毎年特許料収入が入ってくることを考慮すると、とんでもない額になります。

これだけの収入があると、いろんな人が近寄ってきて「ぜひ寄付を!」と毎日言い寄られ大変な思いをしているのではないかといらぬ想像をしてしまいます。

 

中には、「癌で苦しむ人々を救うために特許で儲けるな」「金を払えない人間に死ねと言うのか。儲けた金を寄付しろ」と言う人もいることでしょう。

 

医薬品というものは高額です。特に癌治療薬は研究開発費も高いため、g当たりの単価は数十万円になります。

すると、保険が効くとはいえ、貧しい人たちは買えなくなってしまいます。

 

そこで持ち上がるのが、「医薬品に特許を認めるな」という議論です。

(なお、途上国へは、その国の支払い能力を考慮して減免措置を取ったり安価に医薬品を提供したりしています。)

 

現在の日本の法律では、特許法29条の審査基準に記載されているように、人間を手術、治療又は診断する方法の発明は「産業上利用できる発明」には該当しない(=特許を取れない)とされています。

 

人間を手術、治療又は診断する方法の発明の中には、人工臓器、義手等の代替器官を取り付ける方法などだけでなく、病気の予防方法(たとえば、風邪の予防方法や虫歯の予防方法)なども含まれます。

 

このような取扱になっているのは、人道上の理由からですが、資本主義の悪い点を共産主義的思想によって修正しているといえるでしょう。

 

資本主義のメリットは、頑張ればがんばった分稼ぎやすい(反対の言葉で言うと、共産主義のデメリットは頑張っても頑張らなくてももらえるものは同じだからやる気がなくなる)ということですが、デメリットとして、富の不均衡が起こりやすい、法で規制しないと強者が弱者を搾取し放題になる、ということがあげられます。

 

資本主義は完璧ではありません。もちろん共産主義も完璧ではありません。

だからこそ、資本主義制度下では、「共産主義的視点からの修正」がどうしても必要になります。

 

これは、世界中で世界をより良くしようとする人たちによって、必死に考えられています。

 

「人の命より大切なものはない。治療や医薬にお金の支払いを必要としてはいけない」こうした考えも一理あります。

しかし、現実問題として、資本主義でほとんど全てのものやサービスがお金でやり取りされているので、医薬品だけお金をとってはいけないとすると、どうしても国が薬価を負担しなくてはいけなくなってしまいます。

すると、相当な額の税金が必要となります。

 

ということは、その分税負担が増えたり、他の分野への補助が減ってしまうことになります。

場合によっては、その減らされる補助金は未来を担う子供への教育費かもしれません。

(子供への補助金が増えても、その補助金をNPO団体が横取りしてしまうというさらに複雑な事態も起こり得ます)

 

また、医薬品に特許を認めなくなると、そもそも頑張って研究をしようとするインセンティブを失わせてしまいます。

全てがお金目的じゃないけれど、お金がもらえないならそこまで頑張って辛い研究をしないよ・・・と考える人もたくさんいるからです。

 

そんなわけで、最善策として、「資本主義下共産主義的修正」というのが現状においてベストなのですが、まあ、いろいろと複雑過ぎますね・・・。

 

癌を治療して長生きできる人が増えたとしても、その人が寝たきりで介護が必要となる場合、その人が介護をしてくれる家族の気持ちを考え、配偶者や子どもたちに負担かけてまで長生きしたくない。適度なところで死んでいい。と考えることもあるでしょうし、介護をする人たちの気持ちになってみれば、「もう死んでくれていいよ。死んでくれないなら自分が死ぬよ。もう生活できない」となってしまうと思うのです。

介護疲れから殺人や心中なんてよく聞くニュースですよね・・・。

 

私の母は、母親(私の祖母)が10年以上寝たきりだったためにずっと介護をしていて心身ともに疲れ切っていました。お葬式のときにかけつけた姉妹は泣いていましたが、母は憔悴しきって涙も流していませんでした。

普段は天使のように優しい母ですが、「やっと開放された・・・」との本音の呟きから、介護問題の闇を見た気がしました。(最悪、共倒れになりますよね・・・。)

 

そんなわけで、「人の命を救う薬」は広く行き渡るべきですが、必要(どこまでかは難しいですが)以上に長生きさせてしまうことは、別の問題を生むことにもなるといえます。

 

ここらへんの話は倫理観やお金が複雑に絡み、非常に難しいものです。

他の例でいえば、たとえば、日本人で心臓に欠陥のある子が移植手術を受けるために外国へ行くのでその治療費を募っている場合に、寄付をすることもあると思うのですが、そのお金を日本で貧困にあえぐ子どもたちに使えたらどれだけの人数の子供が救えるのだろう、とか、「被災地や貧しい子への寄付はお金が一番ありがたいです」と言われても寄付金は本当に補助を必要としている人たちにいっているの?中抜きされ過ぎなんじゃない?との疑問から、ついつい米やランドセルなどの物資をあげたくなる、などなど・・・。

 

あと、弱きを助け強きを挫くはずの弁護士がなんで苦しんでいる人たちを無視するの(SNSなどで助けを求めても弁護士が反応しない)、とか、いや、弁護士だって仕事でやってるんだから正義感だけじゃやってられないよ、などなど・・・。

 

まあ、こういった話は山ほど議論されていますし、私に答えはわかりません。

とりあえず、次善の策をとっていくしかないんだろうな、という感じです。

自分の立場からは好ましい考え」はあっても、「絶対的に正しい答え」なんて無いでしょうし。

だからこそ議論に終わりは無く、ずっと模索状態なわけですが・・・。

 

なんだか話が脱線しすぎてしまいましたが、とりあえ現段階で言えることは、「医薬品に特許を認めなくなったとしたら、短期的にはプラスに働くけど、長期的に見ると、医薬品開発をする人が減ってしまうからマイナスになり得る。」ということと「この考えは他の知的財産権分野、たとえば著作権にも応用できて、現在著作権が存在するものの著作権を認めなくなったとすると、短期間のうちには文化の発展に資するだろうけど、長期的に見ると、わざわざ何かを創作しようとする人が減ってしまって文化の発展に寄与しなくなる虞がある」ということでしょうかね・・・。

 

「権利なんて認められなくても自分は創作をする」という人が現れ、かつ、その人が高レベルの創作物を生み出してくれれば知的財産権による保護なんていらなくなるのでしょうが、「創作物の生みの親」が誰かということがわからなくなってしまうと「人類や文化に貢献したい。お金はいらないから名声だけでも欲しい」という人の気持ちを削いでしまいますし、まあ、いろいろと難しいですね・・・。

 

というか、今でも「漫画家などクリエイターたちは好きでやっているのだから、読んでもらっているだけでもありがたいと思え。たとえ貧しくとも表現することが本当のアートだ」との考えを持つ人はいるでしょうし、この考えにもやっぱり一理あるとは言えると思います。

 

いずれにせよ、どんな考え方でも「絶対に正しい」ことはないと思います。

人の命とお金を天秤にかけたときに、倫理的には前者に軍配が上がるけれど、先進国と途上国の経済格差を見ていると現実問題としては後者が優遇されていますし、この議論に終わりは来ないのかもしれません。

 

私個人としては、葦のようにしなやかに、かつ、信じるものを追求する強い生き方をしたいなと思います。

多分、その「信じるもの」も自分の成長や考え方の変化により、どんどん変わっていってしまうのでしょうけどね・・・。