*この記事は旧ブログ「問題解決中」の記事と同じです。

 

あけましておめでとうございます。

この記事を書いている今日は2017年1月1日です。

子供二人が12月にノロに感染、12月末におたふくかぜになって昨夜は泣き続ける娘を一晩中抱っこしていました。

今度は弟に感染かしら(^^;

 

子供が3人もいる身にとっては、帰省も旅行もないお正月もたまにはよいかもしれません。

 

さて、娘が泣き疲れて寝たので、ようやく自分の時間ができました。

外出もできませんし、ちょっと休憩してブログでも書こうと思います。

 

テーマは「世界」。いる場所はいつもの場所だけど(^^;

 

さて、どのような「世界」の在り方が理想でしょうか。

 

誰にとっての「世界」かによって「理想」かどうか変わってきますが、ここでは「地球にいる人々全て」にとっての世界の理想を考えてみようと思います。

「一部の人にとっての理想の世界」ではありません。

「すべての人々にとっての理想の世界」です。

 

ということは、「自分や自分の大切な人だけ衣食住が満たされて肉体的にも精神的にも満足している状態」ではありません。

 

つまり、「競争社会で勝った人だけが得をする世界」ではありません。

勝ち負けに関係なく、誰もが幸せを感じることのできる世界が「理想の世界」だと思います。

 

では、どうしたら「理想の世界」が創られるのでしょうか。

そもそも、どうしたら「すべての人にとっての理想」が達成されるのでしょうか。

 

Trizの進化のトレンド的に言うと、境界が除去された状態ほどより進化していると言えます。

 

多数の境界 → 少数の境界 → 境界無し

 

つまり、境界が少なければ少ないほど、理想的には境界が存在しなければ、より進化した社会の在り方に近づいていると思われます。

 

関東人と関西人という境界を設けずに、同じ日本人という枠組みで考えた方が進化していますし、日本と外国という境界を用いずに、同じ地球人として考える方がさらに困難ですが進化しています。

 

ジョンレノンがイマジンのなかで歌っているように、国が存在しない、宗教も存在しない世界なら争いはありません。

そんな世界はあまりにも突拍子もなく、理想主義的で夢物語にしか聞こえません。ですから、笑われてしまうでしょうし言葉にして言うと恥ずかしいようなことですが、本当は誰もが心の中で臨んでいる世界なのではないでしょうか。

 

救いを求めてすがった宗教が別の宗教と対立して争いを生んでいるなんてそっちの方が笑い話かもしれません。

 

一部の人だけが特権的な権利を持ち、他者を蔑んで優越感を味わうようなゆがんだ世界ではなく、本能的に温かさを感じられる、母の胎内にいるような安心に包まれて生きられる世界。

そんな世界が理想なのではないでしょうか。

 

境界が少ないほど、経済的にも多くの無駄を省くことができ、我々はそこから恩恵を受けられます。

 

たとえば、特許出願をする際にはPCT出願を行うことにより世界中で特許をとることができますが、そもそも国内・国外の区別がなく、すべての特許が世界特許になってしまえば、手続きは非常に簡単です。

 

また、そもそも特許制度や所有権という概念がなければ、さらに無駄を省くことができます。

 

しかし、人間にエゴがある限り、それは非常に困難です。

「自分」と「他者」の区別をつけない人なんて、神様仏様レベルに人間が練れていないと無理ですからね・・・。

 

「理想の世界」を創るためには、「境界」を少しでも減らす努力が必要です。

 

それは途方もないことと思えますが、一人一人が少し意識するだけで、信じられないくらい簡単に改善することができてしまうのではないかとも思えます。

 

大きな世界に生きる小さな一人の人間に過ぎない私ですが、少しでも人のためになることができたら、生まれてきた甲斐があったというものです。

 

今年は、小さな小さな私だけの世界から少し飛び出して生きることができたら、と願ってやみません。