今回は用語の使い方のせいで差別的と受け取られる方がいらっしゃるかもしれません。
この記事の題名の「高齢者の問題」の部分だけでも問題のある用語の使い方です。
そのため、最初に申し上げておきます。
私は高齢者を「物」と捉えていたり「高齢者の存在は問題だ」と考えているわけではありません。
そうではなくて、あくまでも技術的問題の解決手法を非技術的問題に応用する上で、「問題」や「機能」といった用語を便宜的に使っているだけです。
前置きが長くなってしまいました。
本題に入ります。
急速に高齢化していく社会の中で、高齢者に関わる様々な事件・事故が起きています。
振り込め詐欺
介護施設でのイジメ
孤独死
自殺
生活必需品の万引き
etc…
記憶に新しいところでは、格安老人ホームで職員が入居者をイジメたり窓から突き落として殺してしまうという痛ましい事件がありました。
これもストレスのはけ口として老人を虐める職員の心のなかに、
「何も生産しない人間には生きる価値がない。いなくなっても誰も困らない。
むしろ家族にはいないほうが金銭的負担がなくなるからプラスだろう」
という考えがあったのではないでしょうか。
そして、私達も口には出さないだけで実は同じことを了解していたのではないでしょうか。
介護は非常にキツイ仕事です。
子育てと比べ、子供が成長するという楽しみはなく、逆に日々衰えていき、しまいには介護している人のことも認識しなくなってしまうのですからやるせません。
私の祖母は10年近く寝たきり生活をしていましたが、介護をしていた母の負担は非常に大きいものでした。
他のことが何もできなくなってしまいます。外へ働きに出ることなんて出来ません。
うちの場合は10年でしたが、これがさらに5年、10年と続くと、介護者の負担は増すばかりです。
特に介護者が一家の大黒柱である場合、収入を得る道が途絶えてしまいます。
そして、親が亡くなり、いざ社会復帰しようと思っても、誰も介護を続けていた人を雇おうとはしません。
そうして、更なる貧困にあえぐことになります。
緊急に解決しなければならない日本社会の闇の部分です。
「自己責任」社会では独居老人や貧困老人の存在は「仕方ない」と捉えられている向きもあります。
しかし、体が自由に効かなくなってくる高齢者にとって、一人で暮らすことや貧困に苦しむことは生命の危険と隣り合わせです。
したがって家族と一緒または仲間と一緒に暮らしたり社会参加をすることが求められます。
ここで、Trizの問題解決ツールのうちの「トリミング」に目を向けてみたいと思います。
このトリミングとは、ごく簡単に言うと「不要な機能を削り、コストと生産性を上げる」ことです。
たとえば、これは適切な例ではないかもしれませんが、高機能の携帯電話から余分な機能をトリミングし、最低限必要な通話機能とテキスト機能だけを残すことにより価格と維持費を下げるということがあげられます。
このトリミング、使い方が難しいので、トリミング前に十分に「機能」について調べる必要があります。
たとえば、以前紹介した「体系的技術革新」の361ページには自転車のサドルノーズのトリミングについての記載があります。
ちょっと技術的な話になりますが、自転車のサドルノーズの機能をいえますか?
ある技術者たちは、「こんな部分なくてもいいよな」と判断し、サドルノーズを取り去ってしまいました。
確かに一見何の価値もないようにみえます。
そんな部分が存在していると、コストが余計にかかるだけですから、不要な部分は取り去ってしまうべきです。
その結果、どうなったでしょう。
不要と思われたサドルノーズには有用な機能があったのです。
自転車が角を曲がるときに脚の側面からサドル側面に力が働いているのですが、これは「直線走行を維持する」力への反作用を脚が助けています。サドルノーズ部はこの状況で「横力の反作用を与える」という重要な機能を持っているのです。
自転車を構成する部品のうちでほんの僅かなサドルノーズ。
そんな僅かな部分でも削ることが出来るなら削ってしまった方がいいでしょう。
しかし、サドルノーズには上記のように重要な機能があるのです。
自転車のサドルは意味があってあのような形をしているのですね。
高齢者問題に話を戻しますが、
高齢者の存在も似たようなものではないのかと思いました。
資本主義社会の下、生産を行わない高齢者は”不要なリソース”(Trizで技術的問題解決に使われる用語です)に見えます。
しかし、社会で孤立しているならともかく、高齢者が子ども(孫)たちに与える影響はそれなりのものがあります。
たとえば、三世代同居している家庭では、おじいちゃんおばあちゃんは世話を手伝ってくれるでしょう。
また、たとえ物理的に育児に手を課さなかったとしても、「怖いおじいちゃんがいる」「優しいおじいちゃんがいる」ということは、孫に何らかのプラス作用(サドルノーズと同じでこの”機能”は頭で考えるよりも現場を見たほうが発見しやすいでしょう)をもたらします。
そして、子供が大きくなって手がかからなくなった時でも、家におじいちゃんおばあちゃんがいる、という安心感は不思議なものがあります。
この「家に誰かがいてくれる」という安心感が他の家族へ与える”機能”なのかなと思います。
他にも、「おばあちゃんの知恵袋」的な知恵をくれたり、お父さんやお母さんに叱られた時の”避難場所”という機能も持っているでしょう。
しかし、現代社会ではなかなか三世代同居なんて出来ません。
それならせめて、”擬似おじいちゃん擬似おばあちゃん”を創りだしてみてはどうでしょう。
たとえば、老人ホーム内に保育園を作ります。
おじいちゃんたちが「子供の世話」をする必要はありません。ただ、子どもとお話をしたり気にかけてあげるだけで十分です。
高齢者は可愛い子どもたちと話せて嬉しいし、子どもたちは気にかけてもらって嬉しいし、保育士の負担は減るし、良いことだらけです。
もちろん他人が一箇所に集まるわけですからトラブルはあるでしょうが、人間関係に摩擦はつきものです。それを恐れていては人と触れ合えません。
というか、人との摩擦は怖いけれど楽しいものでもありますよね。
人間は社会的な生き物です。
社会のなかで自分の必要性を感じなくなった時、生きる気力がなくなってしまいます。
反対に、一人でも自分のことを必要としてくれる人がいると生きる希望が湧いてきます。
それが家族である必要は必ずしもありません。他人だっていいんです。
(余談ですが、私はよほど急いでいない限りは、人から声をかけられたら必ず笑顔で返すようにしています。赤ちゃんと一緒にいることが多いので知らない人から頻繁に声をかけられるのですが、うちの長男はあまりにも愛想が良すぎるために知らないおばあちゃんを感動で泣かせてしまったこともありますw)
知り合いの可愛い子が毎日「おはよう」と声をかけてくれるだけで心がウキウキしてしまいます。
配偶者に先立たれた高齢者は恋愛をするのも良いかもしれません。
いくつになっても恋愛は出来ると思います。
そして、結婚して新たな家族になれれば素敵です。
このようにして力を得た高齢者同士が結束して、若い愚かな詐欺師たちを蹴散らしてしまえばいいんです。
アナログな方法で情報を伝え合って詐欺撲滅を図っても良いでしょう。
CMのメッセージより知人の言葉のほうが響きますから。
シルバー人材センターでは自転車置き場の管理のような簡単な仕事を提供しています。
こんな仕事をしながら社会貢献するのも良いのかなと思います。
でも、ここまでしっかりとした仕事でなくてもやれることはたくさんあると思います。
特に、上述したように育児分野では高齢者の見守り力が求められているのではないかと思います。
地域で全然知らないおじいちゃんおばあちゃんとその場限りのふれあいを楽しむというのも良いものです。
なかには怖い方もいらっしゃって、思いっきり叱られてうちの子はたまに泣きそうになっていますが・・・(笑)
まあ、社会に出る前に免疫を付けるという意味でも、理不尽な叱られ方をしておくのも良いでしょう(笑)
それから、高齢者の社会参加という点では、インターネット社会ではSNSをしたら良いんじゃないかなと思います。
めっちゃ楽しいですから(笑)
もちろん趣味でやってもいいですし、仕事としてやってもいいと思います。
企業の持つキャラクターの「なかの人」になるんです。
若い人がやるよりも人生経験豊富な高齢者が「中の人」をやったほうが炎上の可能性も下がりますし、含蓄のある発言を繰り返せるのではないでしょうか。
MBAを持っているとか難関資格を持っている高学歴の人を高給で雇ってセンスが必要なSNSをやらせるよりも、一度退職して、でもやっぱり仕事をしたいな、できれば楽しいことを・・・と思っている人生経験豊富な高齢者を在宅ワーカーとして低い給料で雇った方が良いのではないかなと思います。
きっと高学歴で頭の切れるガツガツした若者よりも、「癒やしてくれる」キャラクターになれるでしょう。
(高齢者に限らず身体障がい者とかも積極的にどんどん活用すべき分野でしょう。税金が優遇されますし)
というわけで今回は「Trizのトリミング」と結びつけて「高齢者問題」の問題解決の糸口を模索してみました。
高齢者というと、ついつい弱者だとか生活保護の充実をという社会保障の話になりやすいのですが、「高齢者の生きがいと高齢者が社会に与える機能」という面から考えてみました。
これなら余分なお金を支出することもないし、みんなが楽しくなりますからね。
もっともっと深く考えるべき問題ではありますが、問題解決の一助となれば幸いです。