※上の写真はビックリマンチョコのエヴァコラボシールです。ガンダムコラボ、ドラクエダイ大コラボもほぼ揃ったよ!
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の公開日に、夫が一人でエヴァを見てきました。
私はいつも通り子どもたちとお留守番です。(映画によっては上の子たちも一緒に行く。末っ子は2時間耐えられない)
さて、帰ってきてから早速ネタバレをしてくれました。
どうせ私は見に行かないからね。
それはともかく、話を聞いてキャッチコピーの「さらば、全てのエヴァンゲリオン」の意味がわかりました。
なんとなくですが。
ーーーーーここからはネタバレっぽくなるのでまだ見ていない人は見ない方が良いかもーーーーーーーーー
つまり、使徒を倒すはずだったエヴァがそもそもいなければいいんだとそういうことですね。はい。そんな風に理解しました。
アスカのしていた眼帯の意味もわかりました。
あと、碇ゲンドウが「人が怖くて、唯一心を許せたのがユイだった」という点はシンジもそうだし見に来ているたくさんの人達もそうですよね。
現代人は基本他人が怖くて、他人の評価が気になって、心が休まるときがありません。
一見強そうに見える人でも実は弱いといえそうです。(たとえば他者からの承認欲求を抑えられないとか)
自分を愛してくれ!もっと認めてくれ!
その心の叫びが色々な歪みを引き起こすのでしょうね。
それが現代の中高年ですよね。
いや、人間なんて、そもそもが承認欲求の塊ではないですか。
赤ちゃんはギャンギャン泣いて自分の存在を知らせて、グズって抱っこをねだって、いつだってママの一番好きな人でいたい。
だから、ママが自分以外(それがたとえ兄弟でも)に意識を向けると激しい嫉妬心に襲われます。
ママが自分のことを見てくれてようやく落ち着きます。
碇ゲンドウは赤ちゃんのまま大人になってしまったアダルトチルドレンですね。
子供のときに適切に愛を受け取っていればアダルトチルドレンにはならないはずですが、放置されていると子供じみた気持ちを消化できないまま年だけとってしまいます。
これは、他人にとって大きな驚異となります。
だって、人間は社会的な生き物だからどうしても人と関わることになるからです。
自分の言動が他人に影響を及ぼすことになります。
そして、それがときには信じられない範囲にまで広がります・・・。
こんな悲劇を繰り返さないためには、たとえ自身が子供のときに愛されていなかったとしても、自分は子供を愛するべきでしょう。
しかし、愛されていなかったから愛し方がわからない。
虐待されていた子は自分が親になったときに子を虐待するという虐待の連鎖の話はよく聞きますが、子育ての教育を受けていないのだから見様見真似になってしまうのは仕方ないでしょう。
今回のエヴァはスッキリと仕上がっていたようですが、創作よりも現実のほうが複雑かもしれませんね。
現実には救いようのない話はいくらでもありますからね。
たとえ愛されていても子供側がそれを愛として受け取らないと愛していたことにはなりません。
「歯磨きしなさい」
「勉強しなさい」
それは子供を愛するからこそ出てくる言葉であっても、子供にとっては「うっさいな」としか思えません。
もちろん、虐待については論外です。虐待するような親に感謝しろというのはおかしいです。
でも、あなたが健康なのは、親からネグレクトされていなかったからです。
人は一人で生きているわけではありません。
自分一人では生きていられない期間があって、その期間愛されていたのだから自信を持っていいのです。
なんでしょうね。
エヴァの映画を見ていない人がエヴァについて書こうとしても自分が書きたいことを書いて終わってしまいそうですね。
とりとめがない話になりそうなので、最後に私の夫の名言を記します。
我が息子が大きくなったときに感じなくてはいけない言葉です。
「たとえ俺が他の誰かを愛したとしても、お前は俺のことを好きでいてほしい」