*追記:この記事はほぼ発表したときのままのものです。一般の人からSNSなどでかなり誹謗中傷を受けました。しかし、コメント欄で後に法律家の方々から擁護してもらって法解釈に間違いが無いことが判明しました。コメント欄も含めてお読みいただければ、と思います。

 

「金魚の町」奈良県大和郡山市柳の「金魚電話ボックス」が著作権侵害を理由に撤去されることになったようです。
ことの発端は、2011年頃に、京都造形芸術大の学生グループが制作発表した「テレ金」が福島県いわき市の現代美術作家、山本伸樹氏から、自身の作品「メッセージ」にそっくりで著作権侵害だと指摘を受けたことから始まります。

 

いろいろあったようですが、トラブルを恐れた商店街組合の理事長は金魚電話ボックスを撤去することに決めたようです。

 

山本氏も学生たちも商店街の人たちもみんな可哀想に見えます。

 

著作権法的にちょっと面白い事案ですので、これに対する私の見解を書いてみたいと思います。また、山本伸樹氏のフェイスブックから適宜引用します。(以下の法律用語のリンク先は私の知的財産権サイトです)

 

 

まず、金魚電話ボックスは著作物になるのかという点ですが・・・、

 

なります。

 

著作物とは

思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものだからです(著作権法2条)

山本氏の作品も学生たちの作品も著作物です。

 

では、学生たちの行為は著作権の侵害になるのでしょうか?

具体的には、複製権の侵害になるのでしょうか?

 

ここで、複製権の侵害となるには、①既存の作品に依拠し②類似している必要があります。

 

①については、学生が「誰かの既存の作品を見て創ったわけではない」と主張しているだけでは足らず、客観的に判断されることが通常です。

 

②については、既存の作品に類似していることが必要なのですが・・・
金魚電話ボックスの場合の類似って何でしょう?

 

普通、絵画の類似の場合はわかりやすいですよね。こんな色合いでこんな配置でこんな風に書き上げているからパッと見てそっくりで「類似」だといえます。

 

でも、金魚電話ボックスの場合は、そもそも何を表現しているのか?というところが謎です。

 

ここで山本伸樹氏のフェイスブックでの発言を引用します。

 

既に類似の作品があるとすれば、その作品は既に作品としての鮮度、存在価値は低いと評価すべきで、どんなにインパクトがあっても既視性のある作品であり、パロディーやシュミレーションのような原作を前提とした固有の表現になっていなければ、この段階できちんと外すべきだったのです。

この発言は、芸術というものを見誤っていると言えます。

たとえば、「椅子に腰掛けた女性が微笑んでいる姿」を描いた絵があるとします。このような絵は古今東西いくらでも存在します。そして、いつの時代に書かれたとしても作品の「鮮度」や「存在価値」が低いとは言えないでしょう。

モナリザだけが素晴らしくて日本の漫画家が描いた萌え絵には鮮度も存在価値も無いとは言えません。

 

奈良・町家の芸術祭の実行委員長の野村ヨシノリ氏は「金魚電話」が電話ボックスを使って、金魚が回遊するところを見せる、というところまでは同じだがといっていますが、作品コンセプトや作者達が揚げた目的には、違いがあるのではないか、といっています。
ところが一方で、私の考えも、作品も知らず、両者のコンセプトの差異を具体的に言えないと、両者のコンセプトの差異を知らないのに、違いがあると言っているのです。
野村氏は「金魚電話」が私の作品と制作方法や見せ方が、ほぼ同じであるという事で、著作権侵害にあたるのではというのが、私の意見と受け止めているようです。
しかしながら、私は前述してきたように、著作権を持ち出すまでもなく、既に私の作品があるのを知っていながら、同じような作品を展示することが問題だといっているのです。

 

野村ヨシノリ氏の発言通り、両作品のアイデアは同じですが、作品コンセプトには違いがあります。

 

山本氏の作品に「依拠」していないのですから、両者のコンセプトの差異を具体的に言えないのは当然です。

 

そして、野村ヨシノリ氏の言うように作品と制作方法や見せ方が、ほぼ同じである場合には著作権侵害に当たります。違う場合には著作権侵害とはなりません。ですから山本氏の言葉を借りると「確信犯」というのは的外れということになります。

 

つまり、著作権侵害とは、「既存の創作の表現を真似した場合」に起こり得ることです。

 

山本氏は「著作権を持ち出すまでもなく」と主張していらっしゃいますが、ここでは著作権を持ち出すことが出来ないのです。著作権の侵害ではないのですから。

 

要するに、山本氏が主張している(できる)のは、著作権が侵害されたということではありません。
「自分のアイデアを盗むな」ということです。

 

そして、アイデアについて保護する法律は特許法です。

 

もちろん、「金魚を電話ボックスの中で泳がせる」というレベルのアイデアで特許が取れるわけがありません。
特許は「高度な技術的思想である発明」にしか与えられませんから。

 

 

さて、「類似」の話に戻ります。

 

創作物の表現が類似しているときに類似といえます。

 

ここで、金魚電話ボックスは、第三者の手によって作られた電話ボックスの中に生きている金魚を泳がせるという作品です。

 

電話ボックス自体は山本氏によってデザインされたものではありません。

 

また、金魚も生きている魚なので山本氏による作品ではありません。

 

もしもこの作品が生きている金魚を利用しているのではなく、「金魚のリアルな絵を透明な電話ボックスに生き生きと描いた作品」だったとしたら、著作権侵害の認定はずっと容易でした。

 

しかし、山本氏の作品は「生きている金魚を電話ボックスの中で泳がせる」という「アイデア」に過ぎません。

 

ですから、残念ですが、山本氏の作品は著作権法で保護されないのです。

 

あくまでも私見ですが、訴訟を提起しても、著作権侵害が認定される確率は低いのではないかと思われます。

せいぜい不法行為が認められるかもしれないといった程度です。

 

とはいっても、私には山本氏の気持ちが痛いほどよくわかります。

 

私は今まで何人ものアマチュア小説家たちから「私の創作を盗作されている!著作権侵害だ」という相談を受けてきました。

 

そして、ほぼ全員に同じ返答をしました。
「残念ながら著作権侵害ではありません。アイデアは同じですが、表現は真似されていませんから」と。

 

何人かのアマチュア小説家は、私の返答に対し、怒りを露わにしました。

 

ふざけるな!と。

 

無料で相談に乗ってくれた人に対し、逆切れしています・・・(T-T)

(さすがに後日になって非礼を詫びるメールがきましたが)

 

 

山本氏としても、「アイデアの盗用」は許せないところでしょう。
気持ちはすごくわかります。

 

しかし、アイデアに著作権を与えてしまっては、文化の発展を阻害してしまうのです。

上述したように似たようなアイデアでも表現として異なるものはいくらでもあります。

 

たとえば、ドラえもんがあるからという理由で、未来や異世界から来たロボットや人が現代人を助けるというアイデアで小説やマンガを書けなくなると同じアイデアを使っただけの新たな創作が生まれなくなります。

 

したがって、アイデアの盗用は悔しいのですが、それをバネにして更に素晴らしい作品を創るというのが一番だと思います。

(著作権は創作と同時に発生するため、過去作品を調べなかったことによるペナルティは存在しません。オリンピックのロゴマークの盗用とごちゃまぜにしてはいけません)

 

今回金魚電話ボックスはトラブル防止のために撤去されるといいます。

 

しかし、そもそも著作権の侵害にはならないので、商店街の金魚電話ボックスはそのまま(山本氏の手も加えず、著作権料も支払わず)撤去せずにおいてほしいものです。

 

商店街としては訴訟リスクを避けたいとは思いますが、訴訟になったとしても著作権侵害が認定されることは多分ないと思うので(不法行為は認定されるかもしれませんが)そのままにすべきでしょう。
商店街の活性化のためにもクリエイター(アーティスト)と商店街で手を組むべきです。

 

もう一度山本氏と共に話し合って、電話ボックスについては著作者表示もせずにそのまま維持という方向に持っていければ、山本氏の株も上がりますし、商店街にも人がきますし、最高だと思います。

追記:学生たちの「金魚部」の活動停止時期について間違っていたので(実際にはずっと前に活動を辞めていたのに最近まで活動していたように書いた)、その部分を削除いたしました。他の部分には一切修正を加えておりません。

続・金魚電話ボックス