TwitterのようなSNSやネット掲示板では、現作品を面白おかしく改変するいわゆるパロディが散見されます。このようなパロディについて、日本では同一性保持権の侵害(ということは著作者人格権侵害として差し止めや損害賠償できる)としつつも「黙認」されているのが現状です。
諸外国ではどうしているのだろう?日本では立法化する話が平成23年頃に出ていたけどその後どうなったの?と気になっていたところ、大阪大学大学院の青木大地先生のセミナーでパロディを扱っていらっしゃったので聴講してきました。
そこで学んだことと普段Twitterを眺めているときに気づいたことを書いていきたいと思います。
まず、「パロディ」とは何かについてですが、法律上規定されているわけではありません。
また、国によって大まかな定義も異なります。
たとえば、米国では「先行する著者の作品に少なくとも部分的にコメントをするような新しい作品を創作するためにその先行する著者の作品の要素をいくらか使用している」(Campbell v.Acuff-Rose Music Inc事件)とされ、欧州では「第一に、既存の作品との違いがわかるものであって、その作品を想起させるものであること、第二に、ユーモアや嘲りの表現を構成するものであること」(essential characteristics)とされています。
日本に目を向けると、芸術的なパロディだけでなく、同人誌のような二次的著作物などもパロディと呼ばれることもあります。
いずれにせよ、パロディには「仮に合理的なライセンス料の支払いを提示しても許諾を得ることが難しい」という特徴があるとのことです。だって、自分の作品を馬鹿にしているようなパロディに許諾をくれる原作者は少ないですからね。
ただ、私は権利者が積極的に許諾をくれることも多いのではないかと思っています。
嘲りではなくユーモアだけならむしろ権利者が「やってくれ!」と思いますから。日本ではよく「コラボ」もされていますよね。
たとえばこんなパロディは、作る人・見る人・パロディされる人の三者が楽しい素敵なパロディだと思います。
橋村政海漫画館
さて、日本ではパロディというと真っ先に思い浮かぶ判決は「パロディモンタージュ事件最高裁判決」(スキーのシュプールをタイヤの跡にしたやつ)ですが、これは同一性保持権の侵害とされた事件です。そして、この同一性保持権の侵害とは、諸外国のパロディの議論の場では問題とされないようです。
では、「外国では人格権は軽視されているのか?」というとそういうわけではありません。どちらかというと、著作権法という枠組みの中で人格権を捉えるよりは、一般不法行為として認識されているように思えます(これについては後述)。
日本のパロディに関する判例では、「引用」で助けられないかといろいろ考えた例(『絵画鑑定書事件』もあります。
諸外国に目を向けると、パロディに関して法的見解を示している例も多く見られるのですが、我が国の場合は、副次的な悪影響(反対解釈を招きやすい)が懸念されるとのことで立法化はまだされていません。
すなわち、日本の場合はパロディであるからといって特別扱いされることはないわけです。
といっても、現実的にパロディは毎日大量に創作されているわけですから、何らかの立法的解決を図るべきだよなぁ・・・とは思います。
そこで、参考のため諸外国のパロディの扱いについて見ていきたいと思います。
諸外国のパロディと法律
アメリカ
まずはアメリカ。
古くはLoew’s Inc.v.Columbia Broadcasting System等の判決がありましたが、今年(2019)の判決ですと、Seuss Enters.,L.P.v.Comicmix LLCのように地裁レベルですがTwitterでよく見かけるパロディ(ドクター・スースの一コマをスタートレックのキャラクターに置き換えるという雑コラのようなもの)をOKとした判決が出ています。
また、パロディは様々な観点から是非が講じられていますが、たとえば、表現の自由の観点からは、政治的・社会的に批判的なものほど保護される傾向にあります。一方、猥褻なもの、人権侵害的なものは保護されない傾向があります。
(Neil W.Netanel,Locating Copyright within the First Amendment,54 Stan.L.Rev.a(2001)
たとえば、お菓子のキャンペーンポスターの女優を裸にして体に「私を食べて」と侮辱的な用語を書くという表現方法はパロディとして認められないでしょう。低俗で、何の主張も感じられませんよね。
Salinger v. Colting事件に見られるように、表現の自由と原作者が表現されない自由での争いもあります。fair use(フェアユース)を認めるとなんでも使いたい放題になってしまうので難しいところです。
欧州
欧州に関してはDeckmyn事件判決が大きな影響を及ぼしていると思われます。これは、極右政治家が政治的風刺画を作成したことについてのパロディ該当性を争った事件です。判旨は、権利者とユーザーの表現の自由との公正なバランスをとらなければいけない」とし、本件については「原告らによれば問題の絵が差別的なメッセージを供するものであり、原著作物もそれに関連付けられてしまう効果があることに留意すべきである。もしそうであれば、原則として、著作物がそのようなメッセージと関連付けられることのないようにする正当な利益を有する」とされました。
要するに、不快な使われ方をすると原著作権者に有利になるという「バランシング」を重視しているわけです。
これは非常に納得できると思います。
とはいうものの、米国や欧米では「パロディは面白ければOK」という流れになってしまっており、面白くないものが救われない状況にあるので、日本でパロディを立法化できないのはこうしたことを懸念してのことでしょう。
カナダ
カナダでの判決(United Airlines,Inc.v.Cooperstock,2017)では、パロディに該当するとされても、fairの要件を満たさず侵害にされた例もあります。
欧州でいう「バランシング」で負けたわけです。
批判する側は面白く感じても著作物を使われる側が苦痛を感じるようなパロディはあかんやろというわけですね。
再び日本
アメリカのところで表現の自由に触れましたが、日本ではどうでしょう。表現の自由を根拠にパロディが認められるでしょうか。
「チャタレー婦人の恋人」では、表現の自由として争ったものの、①徒に性欲を興奮させ②通常人の正常な性的羞恥心を害し③善良な性的同義観念に反するためわいせつ物頒布として刑事罰を受けました。
同様に、わいせつ物に関してはパロディが認められたとしてもいわゆる”バランシング”でフェアユースのようなものが認められる可能性は低いのではないでしょうか。
グロ画像等と同じで見たくない人、見るだけで心身に異常をきたす人がいるわけですから(特に未成年)法律が味方してくれる可能性は低そうです。
販売したい人や読みたい人はコミケを利用出来ますからそんなところで意見の主張をしたり過激なわいせつ物を販売すれば良いのではないかと思います。もちろん、ただのわいせつ物なら良いのですが人権侵害も含んだわいせつ物ですとまた新たな問題が生じるでしょうから頒布時は十分にお気をつけください。せっかくの芸術的なわいせつ物(?)がコミケですらも販売禁止になってしまっては読者が困りますから。
他者の人権を傷つけない純粋なエロというものは認められて然るべきです。
さて、日本のSNS、特にTwitterに目を向けると、思想・信条が違う人同士で人格侵害レベルの誹謗中傷が繰り広げられています。批判する側は気分が良いでしょうが、批判される側になってみれば鬱になったり自殺を考えたりするほど酷い例もあります。集団によるネットいじめにより実際に殺人事件にまで発展した例もありましたね。
最近では弁護士に相談し、訴訟提起する人も増えてきたので良い傾向だと思います。私も何度かネットトラブルで困っている人から相談を受けたことがあり、知人弁護士をご紹介してきました。ベテラン弁護士ですしかなり良心的な値段設定をしてくれているので安心してお任せしています。
みんな趣味でTwitterをやっているんだからそんな大金払いたくないですからね。
Twitterは一応匿名で出来ることにはなっていますが、完全匿名ではありません。
発信者情報開示請求をされれば相手に自分の名前が知られる可能性があります。ということは、自分の身を守るためにも他者を無闇に攻撃しないということは大事です。
特に、一定の思想・信条・人種・性別の人をイラストなどで「パロディ」と称して批判するときにはTwitter規約違反になるだけでなく、訴えられる可能性が高いので「自分は正義」と思い込まず、冷静に自分がやっていることを見つめ直してみましょう。
「右翼」と「左翼」のどちらが正しいと思い込むこと自体は自由ですが、その思想を他者に押し付け、考えの違う人たちを攻撃する前に、少しだけ考え直してください。訴えられてから「あれは冗談だった」と言っても通用しません。
パロディによるシニカルな笑いは、人権侵害と紙一重なところがありますから十分にお気をつけ下さい。
もちろん、悪いことには悪いと毅然として批判することも大事です。
批判というもの自体は悪いことではありませんから。
したがって、パロディというものは、他者の人格を攻撃するためにあるのではなく、政治や社会への問題提起及び/またはユーモアのためのものだという認識を持っておけば、トラブルに巻き込まれる虞れは低いでしょう。