無駄を省くことは良いことです。
ムリ・ムダ・ムラを無くせと3Mが言ってます。(トヨタだっけ?)
しかし、ムダなことにこそ意味があることもあります。
たとえば、回覧板。
時間がかかるしムダなことこの上ないのですが、「高齢者の見守り」という視点から考えると有意義です。
・・・とはいえ、それを上回る不便が多すぎるのでこんなもの無くすべきですね。ポストにいれたら意味無いし。
でも、回覧する場所によっては出会いのきっかけとなります。
なので、わざとマンション内で回覧板を回して交流のきっかけとするのも面白いかもしれません。
マッチングアプリで出会うよりも余程信頼できます。
(家の場所が知られているのでストーカー化すると被害が甚大というデメリットもあります)
なお、娘が一人暮らしした場合にそんな回覧板を回しているマンションがあったらすぐに引っ越しさせます(結局回覧板めっちゃ嫌いやんけ!)。
えー、次に、小中学校でのムダとして、「雑巾」を挙げてみたいと思います。
学期の初めにいつも持ってくることを強要される雑巾。
昔は使い古しの布で作られるのが当たり前だったのに、最近はみんな百均で買う雑巾。
試しに古い布で手作りしてみたら「汚い」と拒否されてしまう「綺麗でないといけない」雑巾。
みんな買っているのなら、毎学期百円徴収してくれていいよ?と思うんですけどどうなんでしょうね・・・。
ところで、雑巾に使われているこの「雑」の字は、無駄を示しているように見えます。
色々なものが統一なく集まっているわけですから。
・・・が、実は統一されていない雑多なものにも良さはあるのではないでしょうか。
たとえば、仕事の合間にする雑談はコミュニケーションの一つとして効果的だったりします。
(多すぎるとサボり魔に!)
京セラの稲盛和夫氏は、飲み会(コンパ)を重視していたといいます。(時事ネタ)
必要なことを伝えるだけじゃなくて、一見無駄に見える話をすることによって、様々な発見やコラボレーションの機会が生まれるのでしょう。
したがって、一見無駄に見えることを大事にしていきたいですね。
しかし、回覧板。
お前は許さん!
「タバコ部屋人事」なんて言葉があるように
仕事では通常絡まない人同士の交流を生む場は必要だと思います。
喫煙室や飲み会以外で代替できるならそれに越したことはありませんが。
”仕事では通常絡まない人同士の交流”は必要ですよね。そうした出会いが、意外なものを生み出すきっかけとなったりするでしょうから。
そのためか、出社を基本とする会社も多いですね。
オンラインは便利ですが、対面もまた良いものだと思います。