
随分抽象的な題名をつけてしまいましたが、幸せになる方法について考えてみたいと思います。
まず考え方としては、「どんなときに自分が幸せと感じるか」を具体的に挙げていって結論づける(演繹)ことが考えられますが、実は「どうしても嫌なこと」の数を減らしていくことが一番幸せに近いのではないかと思います。
マイナスをなくした上でプラスについて考えないと、一つのマイナスのせいで不幸せな気持ちは増大してしまうからです。
また、これは否定神学にも通じます。この否定神学というのは、「神がなにか」を言い表すことは出来ないが、「何が神でないか」は言い表せるという否定の論理です。
では、「幸せではないこと」としてどのようなことが挙げられるでしょうか。
慢性的な睡眠不足、慢性的なストレス、依存(アルコール、恋人、ギャンブル、麻薬等)、心身の安全、貧困、飢餓、大嫌いな人たちとの付き合い(学校、家、社会等)、孤独、辛い仕事、周りと比較すること、頻繁に怒りを感じること・・・まだまだありますがこんなところでしょうか。
ここに挙げたことをできるだけ全て避けるようにすることが幸せになる方法の第一歩だと考えます。
そして、いずれも避けようと思えば避けられるでしょう。
もちろん簡単には避けられないこともありますが(特に依存系と貧困)、避けようと努力すれば避けられることが多めです。
慢性的な睡眠不足に関してはハードワーカーや子育てをしている人にとってはどうにもならないことです。
あらゆる拷問のなかでも「眠らせない」という拷問が最も苦しいと言われていますが、たしかに睡眠不足は死にたくなるほど苦しく頭がおかしくなります。
他は全て満たされていても、昼夜を問わずずっと寝不足でフラフラしていると「なんのために生きているのだろう」と考えてしまいます。
子育てはいずれ楽になるときが来ますが、ハードワークが原因で慢性的な睡眠不足の人は、現状から抜け出すことが大事です。毎日生き抜くのが精一杯で転職活動なんてやっていられないからこそ転職すべきです。
嫌いな人たちとの付き合いに関してはできるなら完全ゼロに(引っ越し等)、それが無理なら極力減らすだけで良いと思います。
あとは、プラス要素に関して感謝していけばそれで幸せになれるはずです。
もしそれでも幸せを感じられないのだとしたら、その瞬間(慢性の逆)のことに囚われ過ぎているので、その状態からなるべく早く抜け出るようにします。
そのようにして「不幸なことを避ける」ことと「気づくこと」によって幸せでいられます。
ここで注意したいのが、「周りと比較すること」については、上を見て自信を喪失するだけでなく、下を見て優越感を覚えるようになることも非常に危険な考え方だということです。下を見て安心したり自分はあの人達より不幸ではないと認識することは結局他者を見下すこととイコールであり、増長に繋がります。
増長した心は幸せだったはずの心を蝕み、奈落の不幸へ自ら飛び降りるようなものです。
したがって、「上も下も見ない=比較しない」で心の平穏を保つことが大事なのだと思います。
なお、否定神学的な考え方は配偶者の選び方等にも応用できると思います。
どんな人と結婚したいかよりもどんな人と結婚したくないかを考え、それを全て満たしていない人と結婚すれば幸せな結婚生活をおくれる可能性が高いのではないでしょうか。
結婚したいと思う相手の条件が10個あったら、
50%の10乗ですからその条件を満たす相手は
全体の0.01%に満たないわけです。
「高望みしていないのにパートナーが見つからない」
という現象が起こる原因ですね。
ちなみに気になったので計算してみたのですが
Yes or No方式で27個の条件をクリアすれば
理論上は日本人の異性の誰とでも結婚できる計算になります。
それこそ松潤とだって結婚できます。
否定神学は逆で、「結婚したいと思う相手の条件」ではなく「どうしても譲れない結婚したくない相手の条件」を挙げます。
「理想の配偶者」ではなく「結婚したくない人」を挙げていくわけですのでそこに当てはまらない人はたくさんいます。
また、結婚相手に関してはこの考え方を採って相手を探すよりも、最初に恋愛をしてからこの考えを当てはめる方が良いと思います。「好きになった人がどうしても譲れない条件に合致していないか」を見るだけで済みます(また、この人が好き!という直感は頭で考えるより正しいことがあります)。婚活のようにスペックから入っていくパターンだとおっしゃるとおりいつまでたってもパートナーが見つかりません。婚活が嫌われがちなのは、人間を条件に合致しているかどうか機械的に当てはめた見方をして、イレギュラーなことや動物的本能・直感を無視しているからだと思います。恋は盲目と言いますが、意外とそんな結婚の仕方の方がコンピュータでマッチングした「最高の配偶者」よりも合うと考えます。
中高生の自殺が多いのは、「学校や家庭での大嫌いな人たちとの付き合い」から逃れられないせいだと思いました。親ガチャや学校ガチャでハズレが出たら人生終了です。苦しいです。
子どもたちは自分だけで生きていく力がまだ無いから、置かれた環境でがんばるしかないのですよね。
家庭が嫌だからといって逃げ出すと、家出する子たちを利用しようとする悪い大人たちに捕まって・・・生地獄だと思います。
格差の固定が進むほど、不幸な子どもたちを大量に生み出してしまいます。そして不幸の連鎖が起こります。
この連鎖を断ち切るには個人の力ではどうにもならないので社会が変わらないといけませんね・・・。