「周りを良い気分にする人」の経済的価値

昨日、一昨日に引き続き、無体の財産と無体のサービスの経済的価値について考察していきます。

「もの」や「労働」の提供が無ければ対価を得るべきではないと考えるのが、労働主義(仮)です。これは、金が金を生む資本主義と対立する概念です。そして、どちらかというと資本主義の方が「お金は汚い」と考えがちです。

ところが、効果が目に見えにくいサービスで対価を得にくいことから、無体のサービスを提供している人が損をしがちなのが労働主義社会(仮)の弱点でもあります。

「雰囲気を良くしてくれる人」や「いるだけで周りを元気にしてくれる人」は金銭的に報われてもいいはずです。だってそんな人がいてくれると生産性や従業員定着率がアップするからです。

アイデアのような頭で考えたことが知的財産として保護されるなら、こうした「一緒にいるだけで良い気分になる人」は生産性を上げ組織エンゲージメントも向上させ、さらには犯罪抑止となるという意味でも社会的に価値があると考えられます。

あなたの周りにもこんな人いませんか?優しくて陰で支えてくれる人、何も考えていないように見えるし実際何も考えていないのだろうけど無垢な言葉で癒やしてくれる人、まっすぐで頑張り屋でみんなのために一生懸命で空気をよくしてくれる人・・・。
逆に、いつもイライラしていてストレス発散のために反抗してこない人に嫌がらせをする人(例:お店の人にクレームをつける、公園で遊んでいる子供やその親に説教する、電車内で痴漢をする、SNSで自分と違う考えの人の人格を否定する)は社会的な害悪とさえ言えます。
 
後者のような人はいずれどこかの時点で排除されるでしょうが、明らかに周りにマイナスの影響を与えています。面白いことに、本人にもプラスの効果はありません。

一方、前者のような人は周りにプラスの効果を与えてくれます。そして、愛を受け取り、本人も幸せになります。

愛を受け取ることができるのならそれで十分で対価は必要ないと考えるのもありだと思いますが、もしこれが企業や組織の中で行われていることである場合には、そんな人に高い評価を与え、結果として金銭的に報いることができます。

 
というわけで、無体のサービスにも価値はありますし、金銭的報酬を受けない場合においても巡り巡って自分にその恩恵が返ってくるので、情は人の為ならずなのでしょう。
こんなことは言われなくても感覚でわかります。
でも、大人になると言われないと思い出せないことかもしれません。