厳罰化と法治主義【私刑が怖いから罪を犯さない!?】

残虐な事件についての報道がされると、「こんな凶悪犯は死刑になればいいのに!」という気持ちになると思います。

最終的に加害者が相手を殺しても殺さなくても死刑になってしまうのなら、殺してしまおうというインセンティブが働いてしまうために、死刑は余程凶悪な事件の加害者にしか課してはいけないと思いますが、被害者遺族の気持ちになってみれば、「死刑が駄目なら公開リンチを!」と考えるのも痛いほどよくわかります。

もちろん、日本は法治国家であるため、「目には目を」は許されないわけですが・・・。

 

 

さて、法律というものは、時代に合わせて改正する必要があります。

数十年前の法律では、現代に全くマッチしていないということもあります。

 

たとえば、著作権法(このブログは知的財産権のブログなので民法ではなく著作権法を最初に挙げてしまうことをお許しください)。

著作権法は昭和45年に制定されています。

当時はアナログの時代。

グーグルは影も形も存在しませんでした。

 

時は過ぎ令和を目前とした平成最期の年。

AIが創作することも出来るようになってしまった現代においてアナログ時代の法律は時代にマッチしていません。

 

そのため、少しずつ時代に合わせて継ぎ接ぎのような法改正がされています。

 

しかし、法改正には手間がかかるので、なかなか大改正というものが行えません。ノロノロしている間にも深刻な事件がたくさん起きます。

 

そのため我々一般人は歯がゆい思いをしながら報道に一喜一憂しているという状態です。

 

アメリカの法律に比べると、日本の法律は甘いと見える点もあります。

 

たとえば、最新特許法改正では、ようやく損害賠償額算定方法の見直しが行われました。
それでもアメリカの三倍賠償には遠く及ばない額です。

 

そのため、日本では訴訟を起こさない。そもそも日本では特許を取らないという手段を選ぶ企業がたくさん存在します。
日本企業なのに日本で特許をとらずアメリカや中国でだけ特許権を成立させるのです。

 

しかし、特許法はもっと罰則を厳しくしてほしいとは思うものの、なんでも厳罰化すればよいとも思えません。

 

なぜなら、刑罰で統制しようとすればするほど、法律に違反しなければいいと考え法の抜け道を探そうとする者が現れるからです。

 

たとえば、商標法の穴をついて大量商標出願をしたベストライセンス社が良い例です。

(ただ、私は彼は上手く法の穴をついているものだなと感心もしています。なぜなら、他の法律を知らない人たちは、「グレーの行為!」と言いながら思いっきりブラックなことをして息巻いているからです。特にネット上では、商標権や著作権を侵害して稼いでいる人たちが多数います)

 

孔子は言いました。

厳罰主義を政治に用いると、国民は抜け道を探し、恥じる心も失うと。

 

孔子曰く、之を導くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を導くに德を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格る、と。老子称す、上德は德とせず、是を以て德有り。下德は德を失わず、是を以て德無し。法令滋滋章らかにして、盗賊多く有り、と。太史公曰く、信なるかな是の言や。法令は治の具にして、治の清濁を制するの源に非ず。

 

孔子の言うように、人間を導くには道徳と礼儀をもって行うべきで、外から強制されるよりも自分を律して正しい行いをするのが理想でしょう。

 

このように孔子たち儒家は倫理の大切さを掲げていますが、法と厳格な罰による国家運営を掲げたのは法家です。

 

法治主義と徳治主義どちらが良いかと聞かれたら、私だったら良いとこ採りをしてしまいます(このブログでいつもやっている問題解決法です。ズルいとも言うw)。

つまり、法治主義に軸を置きつつ、徳治主義的修正を加えます。

 

法治主義は法家の時代には適切でしたが、法万能主義に警笛をならした孔子に習って徳治主義的修正が加えられたら社会はもう少し良くなるのではないかな・・・と期待しますが・・・格差が広がり、貧困の連鎖が続き余裕のない日本では難しいでしょうね・・・。

 

冒頭に述べたネット私刑(リンチ)が徳治の「恥」の概念的修正になっているような気もしますね。

 

公に処罰出来ないのなら、秘密裏に始末するという必殺仕事人みたいな作品が人気を集めるのも人々の心の叫びを表しているからなのかもしれませんね。

 

デクスターなんてすごく面白いよ!(笑)