世界知的財産の日【4月26日】

気づいたらブログを5か月もお休みしていました。
明日(4月26にち)は世界知的財産の日ですし久しぶりにブログを更新したいと思います。

世界知的財産の日特設サイトとWIPO(世界知的所有権機関)のホームページを見てみたのですが、ふと疑問が生じました。
当たり前のように書かれている「技術の進歩」(なお、進歩という言葉は特許法には出てきません)って、必ずしも人間の幸福に繋がるものではないよなーと。

いえ、家電のおかげで楽をさせてもらっていますよ?
年中適温で清潔なお家で暮らせるのは快適です。
入院したときも病院では大変お世話になりました。

それらに関しては全く異論はございません。

・・・でも、山奥にBBQに行って悪戦苦闘しながら火を起こしたり快適ではない布団で眠るのって楽しくありませんか?
私は楽しいです(異論は認めます。たまに山奥に行くから楽しいんですよね。毎日だとしんどいです)。

あと、年を取ってから家族に迷惑をかけているなと思いつつベッドで寝た切り状態で生きるよりは、ポックリ逝きたいなーと思います。
医療の発達のおかげで長生きできるようになりましたが、祖母の介護をしている母を見てきた私としては、わが子に迷惑をかけたくないと思ってしまいます。
少子化と高齢化で若い世代に負担をかけていることを考えると、長生きイコール善とは言えないよなーと思ってしまいます。
実際に年をとったら生にしがみついて見苦しく生きようとするのかもしれませんが、私は十分に幸せを満喫させてもらえたので後の世代のためにもあっさりと去りたいと思います。

それから、よくフィクションの世界では隕石の衝突だとか何らかの原因で突然文明が失われることがあります。
そんなときに高度に発達し過ぎた技術力があるよりは、基本的な技術だけを知っていてそれを駆使して楽しむことができると世紀末も楽しいのかなーと思ったり・・・。

なんとなくこの日常が永遠に続くような錯覚にとらわれてしまいますが、我々は毎日確実に年を取っていますし世界も変化しています。
変化が普通であって変わらないことは異常なのだから、変化を受け入れる柔軟な心を持っていないと頑固老人になっちまうなと震えています。

技術の進歩で幸せになれるのなら、これだけ恵まれた先進国で自殺者なんて出るわけないよなーと思ったり。

というわけで、「技術の進歩」を何の疑問も持たずに「善」と決めつけずに、「技術の後退」や「復活」を楽しむ生き方をしたいです。