*この記事は旧ブログ「問題解決中」の記事と同じです。リンクを下さっていた方はこのブログのアドレスに設定し直してくださると助かります。

 

明日で2016年も終わってしまいます。
この一年を振り返ると、子供は成長したけれど、母親である自分は成長したのかなぁと心配になりました(^^;

 

よく、子供は何か悪いことが起きると他人のせいにします。

 

うちの次女は自分が落書きをしても、長女のせいにします。その落書きはどう見ても次女のものなのに、うそをついてもバレバレなのに、人のせいにします(場合によってはまだ小さな赤ちゃんのせいにします・・・)。

 

自分のせいにされた長女は怒って喧嘩になりますが、こんなことは日常茶飯事です。

 

二人はなんだかんだ言って仲が良いのでズルズルと引きずらず、すぐに仲直りして遊んでいるのですが、もし二人が根に持つタイプだったら、一緒に遊ぶ回数が減ってしまうのだろうなと心配しています。

 

ところで、この「他人を責める。人のせいにする」という行為は非常に子供じみていますが大人でもやりますよね。

 

たとえば、私は育児をしていてつらい時、よく、ここがフランスだったらな~などと思ってしまいます。
これって、自分が生きている場所や時代、環境などのせいにして、問題と向き合うことから逃げている考え方です。
確かに生まれた国などについては変えようがない事実ですが、それを踏まえて生きていくのが責任のある生き方だと思うのです。

 

ただし、私とは違って、過酷な環境下で生きている人たちもいます。たとえば貧困にあえぐシングルマザーなどです。

 

彼女たちはすべてを自分の責任と考える必要はありません。むしろ、私たちが保護しなければいけない存在です。

他人だから、という理由で放置して良いとはとても思えません。

こういうことを考えると、社会全体で子育てをしている国がうらやましくなってしまうのですけどね・・・。

 

私は子供っぽい人間ですが、子供のおかげで少しは大人になれました。

 

でも、まだまだ「理想の大人」にはなれていません。

 

「問題」を「理想と現実のギャップ」と定義するなら、これは解決しなければいけない大きな問題です。

 

上記したように私は子供(他人)の悪い点は簡単に指摘できるのですが、自分のことは正当化しようとしてばかりいます。

はっきりいって卑怯です。

 

特に、明らかに自分に非がないときにはやけに自分の正当性を主張しようとしてしまいます。
大人なら折れればいいのに折れることをしないで正しさのなかに自分を置いておこうとします。

 

しかし、たとえ相手に非があっても、自分の正しさに固執してしまっては、場の空気を悪くします。

 

そんなことになって嫌な思いをするくらいなら、自分にも責任の一端があるとくらいは考えられるようになりたいですし、その方が楽です。

 

そうわかっているのに正しさに固執してしまうのは、「責任を取る」ということは勇気が必要な行為であり、私はまだまだ起こったこと全ての責任を自分が取るだけの勇気が無いとわかっているからです。
ようするに、ガキんちょなんです。

 

でも、責任をとれる人間になった方が結局は気持ち的にも楽になると思います。

 

だって、「悪いこと」を「他人事」として放置せず、自分のことのように考えることのできる優しい人間になれますし、倫理的にも苦しんでいる人に寄り添ってあげるのは正しいことだからです。
そして、人間は正しいことをすると、本能的に自分を愛することができ、幸せになれるように出来ていると思うからです。

最終的には、起こった全ての悪いことの責任を自分のものとして受け入れられるくらい、器の大きい人間になるのが理想です。
壮大過ぎるまさに「理想」ですけどね・・・(^^;