1876年に電話機を発明した人は誰だか知っていますか?

 

みなさんご存知のグラハム・ベルですね。

 

しかし、同年に電話機を発明していた人はもう一人います。

彼の名前はイライシャ・グレイ。

 

イライシャ・グレイはベルよりも2か月も前に発明を完成させておきながら、すぐに特許出願を行わず、2か月も経ってから特許出願をしてみたら、ちょうど同じ日の2時間前にベルに同じ発明について特許出願されてしまい、「電話機の発明者」として歴史に名を遺すという名誉を逃してしまった不運な人です。

 

このことから、イライシャは悲劇の天才と認識されることが多いのですが、私は「このとき電話機の特許権を得ることができなくて良かったのでは」と少し思ってしまいました。

 

その理由として、まず、イライシャは電話機の特許権を取れなかった悔しさをバネに、後に別の発明を完成させて事業を成功させています(本当に優秀な発明者だったようです)。

 

また、イライシャは特許制度を軽視しすぎていました。

だって、発明完成後、すぐに特許出願をせずに放置しているんですよ・・・。

特許制度の目的の一つである「重複研究を防ぐ」ということが達成できません。
特許権という独占権を得たいのなら、権利を主張するだけでなく、適切な特許出願をするという義務もこなさなくてはなりません。

 

真の「世界で一番最初に電話機を発明した発明者」に特許をとってほしいと思うのは当然です。ベルの特許を取り消してイライシャに特許を付与してほしいと考える人がいてもおかしくないでしょう。

 

イライシャのような不幸を防ぐためにも先発明者主義(先願主義の対立概念。先に発明をした人に特許権を付与する)を採用すべきだとの言い分は理解できます。

 

ただ、イライシャ以前に既に電話機を発明している人がいたという説もありますし、だれが本当の「世界で一番最初に電話機を発明した人」なのかを立証することは困難です。

 

ですから、証拠が必要で立証も難しい先発明主義を採ることは好ましくないと思います。

 

イライシャには発明が完成していたにもかかわらず特許出願を行わなかったという大きな落ち度があります。

たとえ世界で一番最初に発明をしても、特許出願を行わなければその発明に特許が付与されることはありえません。

 

せめて、その完成した電話機を特許出願前に公衆にお披露目していたら、ベルの特許出願はその事実を持って拒絶されていたでしょうに・・・。

しかも、日本の特許法30条1項の規定の適用があったらイライシャは特許権者になれたのに・・・。

 

ところで、もし当時のアメリカ特許法が現在の日本の特許法39条2項を採用していたら、結果は違っていたはずです。

 

すなわち、「同一の発明について同日に二以上の特許出願があつたときは、特許出願人の協議により定めた一の特許出願人のみがその発明について特許を受けることができる」とする規定の適用があれば、ベルとイライシャは協議をして、その結果、共有特許権者になっていたかもしれないのです(またはベルがイライシャに敬意を示して自分の特許出願を取り下げたという可能性も・・・)。

 

というわけで、その時代、その国の法律を理解し、適切な特許出願をすることが大事ですが、特許をとれなくてもへこたれないメンタルの強さが大事だねというお話でした(?)。