怒りや執着を感じたときの問題解決法

人は日常生活を送るなかで、様々な感情を味わいます。
喜びや怒り、悲しみや楽しみは日頃家族との触れ合いや仕事、ニュースや創作を目にしたときに自然に覚える感情です。

このなかでも怒りの感情は人の心を大きく支配します。
あまりにも大きい怒りを感じると、人は怒りに飲み込まれてしまいます。

しかし、愛のようにポジティブな感情もいきすぎると同様に人の心を支配する執着へと変化します。

たとえば、今が幸せと感じる人も、将来もずっとこの幸せが絶対に続くとは言い切れないため、今あるものに執着します。
それは、若さやお金や幼い子供の愛らしさなどです。

そして、この愛は、その対象のことを考えれば考えるほど肥大化します。
自分の子供が可愛くて仕方ないのはこの執着のせいでもあります。

したがって、執着から逃れる良い方法は、「執着の対象は客観的に見るとそれほど素晴らしいわけではない」と冷静になることです。
自分の子供だとゼロ歳の頃から知っているため余計贔屓心が生まれてしまいますから。

ただし、他者と比較しているわけではなく、好きで好きでしょうがないという気持ちならば、いずれ終わりが来るということを念頭において今を愉しめば良いと思います。

 

問題は怒りの感情の方です。
怒りはネガティブな感情である分、自分も周りも傷つけます。
特に誰かと言い争いをしたりすると、相手が憎くてたまらなくなります。

人は怒ったときは自分を怒らせた相手が悪いと思いたくなります。
相手が愚かで精神が病んでいてバカでついでに醜くて傲慢だから駄目なんだと相手を全否定します。
(あんなこと考えるやつは日本人ではない。俺が冷静に論理的にデータを示して説明しているのに理解できないあいつは無能。お前の母ちゃんデベソ。etc…)

精神が成熟すると自分にも何らかの落ち度があったのだと考えるようになりますが、まだ未熟な場合は、相手が100%悪いと心から思い込んでしまいます。心に余裕がないからです。

しかし、上述したようにそのような怒りは自分の心が生み出した思い込みに過ぎません。
なので、「嫌悪感の大半は自分の心が作り出しているだけ」ということを知っておくと気持ちが楽になります。

100%正しい人もいなければ100%悪い人もいません。
視点をずらせば見えるものも変わってきます。

とはいえ、「絶対悪」と思われがちな存在がいることもあるため難しい問題です。
たとえば、無差別テロなんて良い例です。
無差別テロのような凶悪犯罪が起きた場合、何の関係もない一般人が正義を盾にして加害者と弁護士(更には加害者の家族も)を誹謗中傷することが多いことから加害者の刑事弁護をする弁護士のストレスは半端ないと聞いたことがあります。

この、自分が正義の側に立って他者を叩く行為は本当に下品な行為なのですが、一種のエンターテイメントとして楽しむ人は大勢います。

自分が満たされていないとこういう下品な行為を行いやすいのかもしれませんし、下品な行為をするから気持ちが更に荒んでいくのかもしれません。

他者の不幸や正義を盾にした怒りは暇なときのエンターテイメントになりがちです。
なので、その時間を睡眠時間に当てると、心も体も休まり穏やかな気持ちになれるでしょう。

なお、私は怒りを感じた場合、憎いその相手を妄想の中で抱きしめることにしています。
ギューッと抱きしめて相手を潰す・・・という刃牙的なことはしないで、怒りという自分が生み出した感情を慈しむのです。
すると、怒りは溶けてなくなります。
これは娘(未成年)に教えてもらった方法です。お試しあれ!